タイトル未定。

表現するって面白くて、怖くて、必要なもの

表現するって面白くて、怖くて、必要なもの

仕事の一環で文章を書くようになってもうすぐ6年になります。初めは全然言葉が出てきませんでしたが、書けるようになりたいという気持ちはあったので、出てこないながらも書いていました。

出てこない言葉を引っ張り出す作業は時に苦しかったです。ぼんやりと頭の中にそれらしき言葉はイメージできるのに、中々出てこない。パソコンと向かい合いながらしっくりくる言葉を引っ張り出そうと、頭が痛くなるまでうんうん考えていたこともあります。

次第に、少しずつ言葉が出てくるようになりました。岩に塞き止められていた水流が少しずつ流れ出すように、言葉と思考の回路が細いなりに繋がったように。クローゼットに服が増えるとコーディネートの幅が広がるように、頭の中の引き出しに言葉が入ってきたことで、その都度選べる言葉が増えました。

 

書き始めた頃よりは成長しましたが、知らない言葉はまだまだ沢山あるし、文章に完璧はないし、書けることにゴールはありません。同じように正解も答えもないです。そして、やっと流れ始めた水流や回路は使わないとまた錆びれていく気がするので、書き続けています。表現したことに間違いはあるかも知れないけど正解はないから、私の好きなように書いていいし、自分にしか紡げない言葉があると思っています。(人はそれぞれ個性があるから)

でも、こうして書き続けることで私は一体どこに行くんだろう?と思うと、それも分かりません。じゃあなんで私は書いているのかというと、自分の中に積もっていく思いや感情を書いてアウトプットすることで、自分の中が整理でき、軽くなるからだと思います。

 

元々表現することが苦手で、喋るのも得意ではありません。星野源さんの話を聞いてから、人見知りって他人任せなことなのだと知り大分克服しましたが、流暢に話せないのです。あと、何かを体験した時の感情や思い、人と話したことで気付いたことなどが、自分の中で形となって浮上するまでに時間がかかります。タイムラグがあるのでその思いを中々その場で伝えられないんです。でも、何も思っていない訳ではないので結果消化不良となってしまいます。

だから私にぴったりだった表現法の一つが「書く」でした。タイムラグがあっても形にできるし、話すことが苦手でも伝えられる。おかしいのかも知れませんが、思考と口よりも、思考と指先の方が繋がっている感覚があります。指先で言葉を紡いだ方が自分の思いを素直に表現できるからです。私はピアノを演奏しているような気持ちでキーボードを打っています。リズムに乗せて、頭に浮かんだ言葉や思いを指を動かして文字にする。

おかしいのかなと思っていましたが、今はこういう人が居ても良いのだと思っています。

 

今日の本題は『表現することの恐怖』でしたが、他のことを長々と書いてしまいました。

数年書き続けてきましたが、今でも表現することが怖くなることがあるんです。多分、表現したものは自分の一部、または自分そのものだからなのだと思います。

表現するって、自分の中から出てきた自分の一部、または自分そのものをありのまま外にさらけ出すことです。そこに緩衝材とかベールとかってありません。生身の私です。それを受け入れてもらえるのかと思うと、ちょっと怖いのです。もちろん、何かを投げかければ様々なリアクションがあるのが当たり前なんですけどね。(それはまた別の機会に書きます)

何かを表現した時、たまにこういう気持ちになる人も居るんじゃないかなぁと思います。でもやめずに続けているのは、表現することに支えられている部分があるからかも知れません。

 

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