タイトル未定。

忙しさに心を亡くしそうになった時、私はモモを思い出す

忙しさに心を亡くしそうになった時、私はモモを思い出す

最近思います。大人になって自立すると、やることは増えるんだなぁって。

 

大人になると、時間と自由がぽんっと渡されます。幼少期や学生時代が終わると、その先は自分の好きなように人生を創造できるようになります。自分の人生はやっぱり自分のものなので、何をしたって良いんです。でも同時に、自分の人生に責任を持つことになります。生きていくために必要なお金も自分で作りだすことにるし、自分の身の回りの世話も自分でする必要があります。あとは時間の管理、お金の管理も。

幼少期や学生時代は、誰かの管理下におかれていました。やってはいけないこともあったし、こっぴどく怒られることもあった。あとは、リビングに行けばご飯は出てきた。シャツは綺麗にアイロンがかかっていた。今思えば、それは恵まれたものだったのだと思います。大人になったら自分で自分を律することになるから。

でも同時に、それを息苦しいと思うこともあった。そんな思いを抱くようになって、人は自立していくものなのかも知れません。

 

「大人になる」に明確な区切りはありませんが、一つ分かりやすいものは「学生時代の終わり」です。社会人になるって、例えるならどこまで広がっているのか、どこまで深いのかも分からない大海原に旅立つことだと思います。最終目的地がどこなのかも分からないまま船を出し、大航海することになります。

自分がやりたいことだけやってる訳にもいかないので、やりたくないけどやる必要があることもこなしながら、自分の生活を成り立たせます。起床から始まり、仕事と家事。たまにできた余暇にはお金をやりくりしてメンテナンス、娯楽、休養。

そうすると、やろうと思いつつ中々取り組めないことも出てきます。正直焦る。

与えられた時間は砂時計のように減っていってしまう。時間が惜しい。あれもやらなきゃ、これもやりたい。さっさと終わらせよう。電車が数分遅れてる。これは○時間で終わらせて、次はここに行く。次第に、自分の気持ちが時間に終われて見えなくなり、楽しむことさえ義務になっていく。

 

ふと、自分が時間に追われていたことに気付くことがあります。これってミヒャエルエンデの「モモ」の中の登場人物と同じだと。

モモは学生の頃に読んだ本です。大分内容は忘れてしまいましたが、時間に追われ、忙しさに心を亡くしそうになると「モモ」を思い出します。

モモは私にとって生きる上での教訓となりました。だからこうして今でも思い出すのだと思います。モモとの出会いは新しい価値観との出会いであり、自分の価値観へ取り入れても良いと思えるものでした。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 0 )
  • Trackbacks ( 1 )

コメントはまだありません。

  1. […] ★ 忙しさに心を亡くしそうになった時、私はモモを思い出す […]

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top