
私が中学生の頃、父が急に漫画「火の鳥」一式を買ってきてくれました。
私が欲しいと言った訳ではないのですが、何の前触れもなく、父が帰宅後『はい、火の鳥買ってきたよ』と私に渡してくれたのです。父は普段から、私の希望を聞いて買ってきてくれるタイプではなく、自分が良いと思ったものを買ってきてくれるタイプです。お土産然り、書物然り。
なのでそんなに驚かなかったもものの、正直タイトルも知らない漫画だったのでそんなに読みたいと思いませんでした。笑 でも、買ってきてくれたし、とりあえず読んでみようとパラパラと読み始めました。
そしたら意外にも、火の鳥の不思議な世界に引き込まれ最後まで読んでしまったのです。
ストーリーは、ローマ編やヤマト編など編としてそれぞれ完結しているので、大体短編か中編くらいのお話が14巻の中にまとめてあります。なので1巻から読み始めずに、読みたい巻から読むことができます。私も最初は気になる巻から読んだ気がする。
架空のオリジナルキャラやストーリー以外に、世界史や日本史で登場する神様や人物、歴史的な出来事も出てくるので、歴史が好きな人には『あっこんな人も居たな~』と楽しめると思います。
火の鳥は楽しくて単純なストーリーばかりではなく、人間の欲や業、争いなど、ある意味人間らしい醜い側面までつぶさに描かれていて、時々読んでいて辛くなることがありました。笑 これってどういう意味なんだろう?とか、残酷だなぁって。まぁ、初めて読んだのが中学生だった訳ですから、当時の私はまだまだ子供で、知らないことや知らなくて良いことも、もしかしたら描かれていたんだと思います。
全く自分の感覚では分からない、マクロやミクロの世界や遠い未来の話、斬新で壮大なスケール感に気が遠くなるような気もしました。ロボットと人間の恋とか、異生物と人間の子供とか。石ころや泥が意思を持ち世界を統べる星とか。子供を思うあまり植物にメタモルフォーゼしちゃうとか。戦国時代に戦に負けたため敵に顔の皮を剥がれ、狼の頭を被せられてくっついてしまってそのまま狼男のように生きることになる男性とか。(文字にすると怖い・・・笑)
最近火の鳥を読んでいなかったのですが、今もこれだけ覚えているほど手塚さんの発想は斬新で、そのストーリーは衝撃でした。
でもやっぱり、未知のものや分からないものって興味が湧きますから、怖いな~おぞましいな~と思いつつ、危険な魅力に惹かれて読んでしまったんだと思います。よく分からなくて、じっと考える時間も増えたかも。
火の鳥はどの巻(時代)にも登場します。どの時代も、人間を含め宇宙規模ですべてものを見守っていて、何かが間違った方向に進んでいても正す訳でもないんですよね。人間の夢とか目の前に姿を現して多少啓示のようなことはしますけど、ただ行く末を見つめている。滅亡することになっても『今回もだめだった』、それだけなんです。でも、人間やそういったものに対して希望は捨てていない。
いつか絶対に私たちはみんな死ぬので、火の鳥が象徴する「不死」は、到底人間は到達できないものです。やっぱり「死」って怖いし、悲しいし、未知の世界です。いつまでも生きられたら良いなぁという憧れは何度か思ったことはありましたが、火の鳥を読んで、死ぬってある意味救済であり、終わりがあるってありがたいことなんだなーと思った記憶があります。今もそうだと思っています。終わりがないって、思っているより辛い気がします。
不死という実体のない未知のものを「火の鳥」という分かりやすくも神々しいものに当てはめて、生と死について考えさせられる漫画なのかも知れません。多分、手塚さんはそんなことを思って書いていないと思うけど。
中学生の頃にはだしのゲンも学校の図書室に行って読みました。お昼ご飯を食べた直後のお昼休みに読んだので、おぞましい絵にちょっと具合が悪くなったことがありました。笑 あれは最後まで読めなかったな。時間もなくて。でも、今も戦争は絶対に嫌だと思っています。
ブラックジャックもリアルな絵柄に具合が悪くなったことがあります。笑 外科医すごい。火の鳥は逃げずに向き合いました。ストーリーもギャグとかライトな部分もあったので。
人生の中で何度か、それまで築いてきた人生観や価値観がガラッと変わる出会いや出来事があります。それは上記のようにおぞましいものばかりでもありませんが、どれも衝撃的で、少なからず胸を締め付けられるような、響くような痛みが伴っている気がします。
当たり前ですが、痛みを感じると痛いし辛いです。出来ることなら、痛みを感じずに生きていたいものです。でもやっぱり、人って痛みがないと変わらないんですよね。自分を振り返ってみても。
だから、痛みを感じられる経験ってありがたいことなのかも知れません。もう一度その痛みを経験したいかと言われるとNOだけど。笑 でも、もうたくさんって思えるほど痛い経験は、痛みを経て、学びに変わったってことなんでしょう。昇華できたってことなんだよ、きっと。そう思いたい。
痛みを感じられなくなったら終わり(=死)ですもんね。(精神も肉体も)
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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