おばあちゃんが10月上旬に、救急車で運ばれました。
おばあちゃんが救急車で運ばれて意識を失った夜、お母さんから連絡がきました。
『おばあちゃんが意識を失って入院しているから、今週末お見舞いに来られる?』と。
目を疑うってこういうことなのだと思います。一ヶ月前に会ったおばあちゃんは元気で笑っていたからです。
週末にお見舞いに行きました。
おばあちゃんはその当時、ICU(集中治療室)にいました。
インターホンでお見舞いにきたことを看護師さんに伝え、扉をくぐると、一つ目の部屋が現れます。そこで手を洗って消毒します。そしていよいよ次の扉の向こう側がICU、そこにおばあちゃんが居ます。無機質で重厚な扉の前に立つと、扉が自動で開きます。ウィーンと重そうな音を立てながら、ゆっくりと静かに静寂を破りました。
扉のまっすぐ前に、おばあちゃんは横たわっていました。意識はありません。おばあちゃんは、心電図や脈数、血圧などを測定できる機械に囲まれていました。人工呼吸器もつけていました。
部屋に入る前に覚悟したつもりでした。今日のおばあちゃんは具合が悪い姿なのだと。でも実際に会ってみたら、やっぱり普段のおばあちゃんの姿とはかけ離れていて、覚悟したつもりだったのにショックを受けてしまいました。痛々しくて涙が出そうになりましたがなんとか堪えました。声を掛けると目を開いて、虚ろながら私たちの声を認識しているようでした。
翌日は午前中と午後、2回お見舞いに行きました。私は、午後お見舞いに行った後に東京に帰る予定でした。午後会いに行くと昨日より少し意識が戻ってきていました。『あぁ、良かった』と思ったものの、お母さんが『痛みは良くなった?』と聞いたら、おばあちゃんが弱々しく首を振りました。そこでずっと我慢していたものが決壊し、泣いてしまいました。
これだけ厳重に看病されていても今も痛いんだと思ったら、居たたまれなくなったのです。そして、首を振る時のおばあちゃんの瞳は、辛いということを切実に訴えていました。最後まで泣かずにいようと思ったんですが、最後の最後で泣いてしまいました。
人の回復は、薬や手術など外からのサポートも大切ですが、なによりも本人の自然治癒力が大きいと聞いたことがあります。本人が『元気になりたい』と思うことが回復に繋がるのだそうです。だから私は会いに行きました。孫の顔を見たら元気になろうと思ってもらえるかも知れないと思ったからです。病室を出る時、おばあちゃんは泣いている私のことをじっと見ていました。私のこと分かっていたのかな。
その後、東京で過ごしている間、ふとしたことでおばあちゃんを思い出していました。街中で似たようなおばあさんを見かけた時だけでなく、何も無い時にも。
東京に戻ってきて数日後、お母さんからまた連絡が来ました。
『今日、おばあちゃんが笑顔を見せてくれたよ。意識も戻ってきた。少しずつだけど回復しているよ』と。
笑顔をみせてくれた。直接私が見た訳でもないし、それだけのことなのに何故かすごく安堵してしまって、涙が止まらなくなってしまいました。先日は痛いと言っていたから、笑ったということは少しでも痛みが和らいだ時があったのかなと思い、同時に頭の中でおばあちゃんの笑顔が思い出されて、ずっと抑えていたものが溢れて止まりませんでした。
あんなに涙が次から次へと零れて、嗚咽混じりに泣いたのは久しぶりでした。
きっと大丈夫だと思っていましたが、やっぱり心配でした。というよりも、不安な気持ちから目を背けるようにして、きっと大丈夫と自分に思い込ませていました。今頃どうなっているんだろう。もし今、状態が急変していたらどうしよう。意識が戻らなかったらどうしよう。悪い方に考えると止まらなくなってしまうので。
泣き始めて、私はずっと怖かったんだと気付きました。おばあちゃんを失ってしまったらどうしようと。悲しみの渦中や、「辛い」ということと向き合えていない時は意外と泣けないものですが、緊張の糸が解れたり自覚すると、涙は堰を切って流れ出るものです。
ずっと原因が分からないままでしたが、先日、やっと原因が分かりました。『ギラン・バレー症候群』でした。カンピロバクターなどのウイルスが主な原因だそうです。
なんらかの形でウイルスが体に入り込むと、食中毒などを引き起こた後に、稀にギラン・バレー症候群を発症するそうです。例えば生焼けの鶏肉を食べてしまったなど。風邪の症状や食中毒の症状が出てからギランバレーが発症までにタイムラグがあるため、原因が中々特定できないのだそうです。数週間前に食べた食物が原因だなんて思わないですよね。
芸能人やサッカー選手にもこの病気にかかった人が居ます。回復には半年~1年かかるそうが、徐々に症状が改善され、個人差はあるものの元の状態に戻れるそうです。(リハビリは必要ですが)
原因が分かって安心しました。先日もお見舞いに行ったら、まだ体は動かせなかったもののもう意識がハッキリしていて、私に笑いかけてくれました。今は一般病棟に居ます。まだ人工呼吸器を付けているので声は出せませんが、口を動かして『ありがとう』と言ってくれました。
体を動かせないって辛いと思います。声も出せないので意思の伝達も思うように行かないみたいです。体の完全回復には早期のリハビリが大切らしく、すでにリハビリも開始しています。それが疲れるそうです。ゆっくりで良いから回復してくれたらと思います。
私のおじいちゃんは気丈で楽天的、元気です。もうすぐ80歳になりますが、今でも早朝から梨やお米、野菜を作っています。暇さえあれば車を運転して高校野球を見に行ったり、港までお寿司を食べに行ったり。それが元気の秘訣なのだと思います。そんなパワフルなおじいちゃんですが、この時ばかりは意気消沈していました。
おじいちゃんは毎日、午前と午後にお見舞いに行っています。一緒に行く人が居なければ自分で運転して一人で会いに行きます。普段はおばあちゃんと喧嘩することも多く、おばあちゃんに文句を言ったりもしていましたが、やっぱり大事な人なのだと思いました。今は張り合いがないみたいです。
私の両親は共働きだったので、おじいちゃんとおばあちゃんに面倒を見てもらっていました。ご飯を作ってくれたし、色んなところに連れて行ってくれました。大きくなってからも、実家に帰った時には『おかえり』と、東京に戻る時には『いってらっしゃい』と笑顔で声を掛けてくれました。
おばあちゃんが倒れてショックは受けましたが、おばあちゃんのありがたみを家族みんなが再認識するきっかけになりました。
嬉しいことも悲しいことも、何かが起きたその瞬間にはそれが良いものだとか、悪いものだとは分からなくて、その意味づけは後からされるものであり、『あれが起きて良かった』と思える過去と未来は、自分で作れるものなのだと思います。
改めて、おばあちゃんの存在は私にとって大きいと思いました。
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