タイトル未定。

ある夜の言葉~眠れない夜があっても良いじゃない~

ある夜の言葉~眠れない夜があっても良いじゃない~

どうも!中々寝付けない日ってありますか?私はたまにあります。

体が極限まで疲れると逆に眠りにつけなくなる性質です。あと山羊座特有、疲れると膝の関節(ひどいと股関節まで)が痛むのですが、その痛みで眠れなくなる。笑 山羊座に天体持っている方は、疲れが溜まると膝関節が痛むって人が多いです。それぞれ星座には体の担当部位があり、そこって強みであると同時に弱点でもあります。疲れると不調になりやすいんですね。なので、自分と関連性のある星座の担当部位の状態は、体のコンディションを知るバロメータになります。

 

話がちょっと脱線しました。汗 肉体がリラックスできない状態以外に、やっぱり精神的にリラックスできない時、頭が冴えてしまった時も寝れなくなりますよね。

一向に眠れない時、私は開き直って携帯いじったりしちゃいます。今考える必要のないことが頭に浮かんで頭が冴えてどうしようもない時は、頭に浮かんだことを携帯にメモして体外に排出しています。そうするとちょっとスッキリして心が落ち着きます。

今日は、ある寝つけない夜にメモした言葉を並べてみます。多少、読みやすいように書き換えています。

 

★ 心と個性と経験はお金で買えない
物質は、この世のほぼすべての物体を手に入れることができるけど、心と個性と経験は、人間という物体の中に存在するもの、予め備わっているもの、その肉体を使って知るものであり、人間という肉体の括りでみれば物体だけど、肉体がなくなれば同時に消失してしまう運命共同体のようなものある。私たちと共にあるもの。

人間が生きている間、肉体がある間は自分自身とともに存在する限定的な物体「心、個性、経験」は、お金で買うことはできない。

そう思うと、この三者はそれぞれの人間に与えられたギフトであり、自分だけのかけがえのない貴重なものなんだと思う。

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(ここで言う物質はお金です。)
何かで、生きているのって肉体があるからだって聞いてハッとしたんですよね。そっか、肉体が消失すること=この世の死の定義なんだなって。肉体があるから、この物質世界で動けるし、存在できるんだなって。だから脳死とかって、死の定義が難しいんでしょうね。

無形の財産が重宝されるのもそういう理由ですよね。人から人へ引き継がれるもの。一朝一夕で手に入れることが出来ない技術。


★ ディセンダントは自分の晩年の姿?
ディセンダントは出会う縁・出会う人々の性質・性格が分かるものなのだが、自分もその性質を内包しているから引き合い、出会うものなのかもしれないと思った。ディセンダントは7ハウスの始まり。天秤座。他者との関わり合い、他者を必要とするハウス。他者は自分の鏡である。
今はまだ自覚がなくとも、自分の中に存在している可能性や性質を、相手に投影しているのかもしれない。年を重ねる内に目覚めるかも?出会う人々は自分の晩年の姿なのかも知れない。

 

★ 幸せって?誰から認めてほしいのか
この世になにかしらの爪痕をつけたい人って、心は満たされていない人が多い気がする。
満たされていたら、そこまで頑張る原動力がないから。
何をしなくても残さなくても幸せだから。
それってもしかしたら一番安心感のある幸せですよね。
頑張らなくても幸せを感じられるのなら、それ以上のことはありません。

成功して輝かしい栄誉と有り余るほどのお金を得られても、心が愛情で満たされていなければやっぱり寂しいんです。
一例ですが、脚光を浴びる芸能人が時に自死してしまうのはそういうことかもしれないと思います。

元々の素質も大事ですが、飢えているから、逆に多くの人を惹きつける魅力やカリスマ性があったりする。
皮肉にもそれが欲しいから『私を見て!』の力が強いんでしょうね。
でも、沢山浴びるようにもらっても満たされない。では、本当は何を求めているのか?多分それは全然大層なことじゃなくて、
小さい頃そばにいたあの人か、そばにいてほしかったあの人からの承認・愛なのかも知れません。
もしくは、生きてからずっと共に過ごしている、自分からの許しなのかもしれません。

 

★ ピンチしかチャンスにならない
大きなチャンスは大きなピンチの中にあるんだなーって最近思います。ピンチとチャンスは裏表のような関係なんだろうなって。

 

★ 眠れない夜があったとしても、良いじゃない
過ぎ去ったことを、すでに割り切ったと思っていたことを思い出してしまう日もある。

いくら悲しんでも悔しんでも、過去は何一つ変えられない。それは紛れもない事実。
変えられるのは、今この瞬間の選択の積み重ねの先にある未来だけ。それが真実。

そうわかっていても、ふとした時に過去の記憶に引っ張られて、あの日の苦しい出来事や悲しい記憶に心が占領されてしまうことがある。

取り残されたあの日の自分。
すでに割り切ったと思っていたのに、心の奥にしまった記憶というアルバムを引っ張り出す。
過去の記憶は苦しくて悲しいと同時に甘美なのはなぜだろう。
小さい頃から愛着のあるぬいぐるみや毛布を手放せないみたいに安心する。

過去の記憶は、寄せては返す波のようだとたまに思う。
忘れたと思ってもまた思い出す。あの日のように胸が痛む。答えが出ない問いを考える。無駄だとわかっていても。

でも、思い出を反芻するうちに寄せる波は小さくなり、凪いでいく。

過去を思い出すのは、あの日に置き去りにした私がいるから。
心の奥に無理やり押しやった感情があるから。
私の中から成仏していないから、だと思う。

過去を思い出しても未来に何も反映されないし、未来は変わらない。
それが悲しいほど残酷な事実であり、過去を思うことは一見無駄な行為に見えるけれど、
過去を思い出すことで、目には見えなくとも自分の内側で前に進む準備をしているのだと思う。

思い出して悲しいと同時に癒されている自分がいる。
悲しい記憶だとしても、過去を慈しむことでまた前を向こうと思える時もある。
古傷は時に痛むから。

何度思い出してもいい。
何度も思い出すのはそれだけインパクトがあったということ。
消化するまで時間がかかるということ。
繰り返すうちにだんだん思い返す頻度も減って、そのうち本当に忘れちゃう日が来る。

その時やっと過去が過去になって、前に進めるんだと思う。

 

死ぬまでに何度も繰り返す睡眠のうち、よく眠れない時だってあるよ。
でも、私たちは死ぬまでにあと何度眠って、何度目が覚めるんだろうね。
何度目に目を覚まさずに永久的な眠りを迎えるのか、
それが明日なのか数十年後なのかは誰にも分からないですね。

命には限りがあるから、後悔のないように生きたいですね。
そんな話も今度まとめられたら。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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