タイトル未定。

とある授業で見た劇のワンシーンが忘れられない

とある授業で見た劇のワンシーンが忘れられない

大学生の時、講義で見た劇の中で未だに忘れられないワンシーンがあって、今日はその話です。

誰かに何かをプレゼントする際、『つまらないものですが』との言葉を添えて渡すことがありますよね。自分がそうしたこともあるし、人から何かもらう時に聞いたこともあるし、映画やドラマのワンシーンでもよく見かける言葉です。『つまらないものですが』と前置きはするものの、本当につまらないものを渡す訳ではなくて、謙遜の気持ちを表すために使っている、いわゆる「言葉の綾」です。

私もそれは分かっていたし、どんなシーンで出てきてもそれが言葉の綾であることが暗黙のルールなのだと知っていたので、今まで何も思っていませんでした。

学生の時に講義で、三谷幸喜さん原作の『笑の大学』を観ました。
登場人物の椿一が『これ、つまらないものですが』と言いながら、もう一人の登場人物、向坂睦男に何かを渡しました。そしたら向坂が『君、自分がつまらないと思うものを私に寄越すのかね?』というような言葉を発したのです。

椿は『いえ、そういうことではなくて』と焦っていました。教室のところどころで笑いが起きていました。コメディなので敢えてこんなシーンを入れたのでしょうが、私も当時予想外の返しに『えっ?笑』と思いました。

『つまらないものですが』という言葉に限らず、お互いに暗黙の理解があって成り立つ会話もあるんだな~と思ったものです。それまでは当たり前だと思っていたのでなんとも思わなかったですが、確かに、わざわざつまらないものなんて人にあげないのに、何故つまらないものと言うんだろうとも思いました。それが謙遜であることは分かっていてもね。

でも、今までにもらったつまらないものがつまらないものであった試しはなく、大体それは考え抜かれた、選び抜かれたものでした。『つまらないもの』は裏を返せば『あなたのためを思って、考えに考えて買った(作った)もの』なのかも知れません。

そう考えると、段々『つまらないものですが』が予防線を張った言葉にも思えてくるし、自信の無さを表している気もしてきます。逆に、きっと気に入ってくれるだろうという、確信や自信、期待も込められている気がしてきます。謙遜が謙遜でないような。自信や期待を表に出さないために、敢えて裏返しているような。

そこが日本語の面白さであり、複雑さです。

言葉にはある種の力があると思っていて。
発する言葉によって全く異なる未来が造れると思うのです。
それはまた別の機会に!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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