タイトル未定。

読みかけの本と偶然と必然

読みかけの本と偶然と必然

「面白そう!」と思って買ってみた本、いざ読んでみたものの気持ちがノらず中々読み進まない。そんな時ってありませんか?

私も現在、心当たりのある本があります。

 

約一年前に買いました。最初の数ページは読んでみたものの、何故かサクサク読むことができず途中で読まなくなってしまいました。

中身をパラパラと確認しよく吟味して買ったので惹かれていなかった訳ではないし、思いつきで買った訳ではないんです。

なのに何故か読めない。読まない。そのうち本の存在も忘れてしまいました。

しかし最近、その本をふっと思い出しました。

思い出した頃、その書籍と再び本屋さんで出会いました。

また別の日、あるブログを読んでいたらその方が読んだ本を紹介していました。その本はまさに私の読みかけの本でした。

街中やネットで偶然見かけたから読みかけの本を思い出したのか、

それとも私が『そういえば読みかけの本があったな』と気になり始めたから目に付くようになったのか、どちらが発端か分かりません。

(鶏が先か、卵が先かのようだ。)

 

こんな風に自発的に『読もう』と思う時期こそ、その本との相性が良い時、その本が必要なタイミングなのかも知れないと思います。

私がその本にふさわしい状態になったのか、その本が今の私に必要なのかよく分からないし、そもそも思い違いの可能性もあるけど。

読んでいて面白くなかったり全然読み進まない時は、一旦読むのをやめて放置しておくのも良いのかも知れません。

 

なんだかうまくいかないなぁとか、なんだか思うように進まない時ってありますよね。

読みかけの本と同じで果報は寝て待てじゃないですが、上手くできなかったら今はその時ではないのだと開き直り、寝かせたり放っておくのも良いのかもしれません。

まぁ放置しておいたら腐るかも知れないし、そのまま記憶のどこかへ葬り去られ二度と戻ってこないかも知れませんが、発酵し熟成し、より良いコンディションになっている可能性もあります。

時には流れに逆らい、歯向かい、立ち向かうことも必要ですが、時には流れに身を任せ、身を委ね、流されるがままに流されても良さそうです。

予期せぬ場所、自分では行こうとも思わなかった場所に打ち上げられたとしても、それはそれで人生です。

宿命や運命、必然と、選択や意思、偶然。予め決められたものと自分で変えられるもの。

いろいろなものがごちゃまぜになって人生は出来上がるのだなと思います。

あの本、家の中に埋もれているから見つけないとな。今度はスムーズに読めるだろうか。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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