国立新美術館で開催されている、草間彌生展「わが永遠の魂」を観に行って来ました。
「草間彌生」と聞いて思い浮かぶのは、毒々しいくらい鮮やかな水玉模様です。
しかし、若い頃の作品は全体的に暗いものが多かったです。精神的に病んでいたことがダイレクトに伝わってくる作品でした。そんな時代も過ごし、色々描いている中で奇抜で鮮やかな作品が生まれ、「草間彌生」=「水玉模様」が確立されたんですね。
草間さんの言葉が展示の序盤に書いてありました。そこには、死ぬまで描き続けるという決意と覚悟が述べられていました。今でも、新しい作品を作りたくて眠れない日があるそうです。この世界に生きていた証を残したい。受け継いで欲しい。だからこのテーマなのだと思います。
3月22日で88歳になるそうです。今も精力的に描き続けているのは、生きたいという強い思いからですね。
草間さんの作品を観に、沢山の人が来場していました。作品は毒々しく強烈です。でも、人々を惹きつけて止みません。だからこれだけの人がわざわざ観に来ています。まるで作品が放つ、草間さんの生命力に惹きつけられているかのようです。
多分、こういうデザインの部屋にずっと居たら気が変になると思います。なんだか見られている気がして。
『死が訪れる日まで全力で生きたい』という鬼気迫る思いと、草間さんの生命力そのものを痛感する展示会でした。彼女の底知れないパワーを感じました。私は、「作品」=「その人の一部またはそのもの」だと思います。作品はそんなに多くありませんでしたが、濃厚でした。
外に水玉模様のかぼちゃがありました。外にどてっと転がる大きなかぼちゃを見て、何故かちょっとほっとしました。
芸術や娯楽、趣味は、心の余裕で楽しむものなので、無駄と言えば無駄ですし、それがなくても生活は成り立ちます。でも、そういう類をなくしてしまったら、目の前が途端に灰色になってしまう気がします。何かに追われる訳でもなく、何かを追う訳でもなく、ただ純粋に自分が好なことを楽しむ時間。何にも代え難いです。
そして意外と、無駄やガラクタだと思っていたものの中に、宝物や閃き、才能が眠っていることがある。漫画や物語でもそうですが、ギャグや小話を挟むと、読者が息抜きできるためストーリーが長くても楽しめるように、人生も時に道草し、ふざけてさぼって童心に返ることで道が拓けることがあり、山有り谷有りのこの道程を『また進もう』と思えるのかも知れません。
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